糸-ito-

マル勝髙田商店が伝えたい、そうめんのこと、私たちのこと

2022.5.23

社長インタビュー

マル勝髙田商店のメディア「糸」の最初のコンテンツとして、
髙田勝一社長にうかがったお話を用意しました。

今回は、少し角度を変えて髙田社長の若き日のお話。
大学を卒業して入社した食品問屋で学んだことは何だったのか。
過渡期の会社での得難い体験をお話しいただきました。

(聞き手:「糸」編集部)

第3回 問屋さんの発想

大学を卒業してすぐこの会社に入社されたのですか?

「いえ、いわゆる問屋の会社に就職しました」

家業と関係があった会社ですか?

「はい、お取引先でした」

何年か修行に行ってくるというような感じですか?

「そうですね」

商品は何を扱われていたのですか?

「当時ですか?僕が担当した先は、お酒が多かったですね。お酒を全般的に。
その当時は、まだお酒の販売は免許制でしたが、
ちょうど免許制が申請制に変わって
スーパーマーケットさんがお酒を扱い始めた頃に、
僕が担当になりました」

そこで学ばれたことで、今でも残っている、身についた財産は何ですか?

「全部ですね」

全部ですか

「三つ子の魂じゃないですけど、初めて働いたところなので、
そのマインドというか価値観はずっと残っています」

それは、たとえばどんなことですか?

「発想です。
これとこれをくっつけたら面白いんじゃないかとか、
コラボして商品化するとか。
うちで言えば、そうめん製造で使うオリーブオイルを
イタリアから輸入したことをきっかけに、
逆に日本からは食材を輸出するようになって
エリジールという会社を設立しました。
日本酒をイタリアという “新しい場所” へ持っていったら
まったく新しいものになった、そういう発想。
新しいものを生み出すというより、今あるものを組み合わせるとか、
何か形を変えるとか、そういうのは問屋さんの発想でしょうね」

伝統産業であるそうめんとは対極ですね

「伝統的なものは決まり事だらけですよね。
そうめんはこういうもの、夏は忙しいもの、こうしないといけない、とか。
僕はこんな性格だから、それでいいのかなと思ったんです。
毎年同じことをしているのも、改善できないかと。
そんな性格の人間が問屋に就職したものだから、すごく楽しかった。
いろんなお店でこうやってああやってと、
工夫できることがいくらでもあるんです」

たとえばどんな工夫を?

「ある大阪本社のスーパーさんを担当させていただいたとき、
棚のお酒の置き方を変えたら、
お酒の扱いが倍々ゲームで大きくなっていったんです。
これを入れて、あれを変えてと、そのうちに
僕の考えた棚が大阪中に広がっていった。
それから神戸の流通会社さんも担当させていただいて、
そうしたらなんだか、
近畿圏全般のお酒の棚の陳列を僕が考えさせてもらっている⁉
みたいになってきました(笑)」

問屋さんの社員時代、お客さんは大手企業が多かったんですか?

「はじめは個人経営の小さなスーパーさんの担当でした。
そういうところは、経営の厳しいところもあって、
中には潰れてしまうところもありましたね」

大変ですね

「そんな経験を、時代の過渡期のぎりぎりのタイミングで
することができました。
それから勤めていた会社が合併したり、
一部上場するタイミングにも立ち会えました。
最後は東京で仕事をさせていただいたんですが、
ちょうど2002年のサッカー日韓ワールドカップのときと重なり、
目まぐるしく変わっていく東京を目撃できました。
東京駅をよく利用したんですが、
本当に町が毎日変わっているんですよ。刺激的でしたね。
その会社でその時代に仕事ができたのは本当にラッキーでした」

上場して一流企業になったら見える世界が変わりますよね

「でも、今から考えたら、
最初に小さなお店を担当させてもらったことが
すごく財産になっているんです。
小さなお店の厳しい現実を見ているから、
“今日と同じ明日”が来る保証なんてない、
商売というのはムチャクチャ怖いなと実感しました。
だから先手先手を打っておかないといけないなと。
その中で、クリエイティブな考え方もできるようになったわけです。
最初からどっぷり奈良にいるだけだったら、
商売も伝統産業だし、
今のような発想はできなかったかもしれません。
問屋の経験があるからこそ、
こうしたら面白いんじゃないか?
みたいなことを考えられるようになったと思うんです」

(第3回終わり)