糸-ito-

マル勝髙田商店が伝えたい、そうめんのこと、私たちのこと

2022.6.30

ご存知でしたか?7月7日は“そうめんの日”

ご存じでしたか?7月7日は“そうめんの日”食べて贈って星を見よう!

お正月のお雑煮、節分は恵方巻、ひな祭りにはちらし寿司……祭事や伝統行事の多い日本では、それぞれの機会に食べられる「行事食」がありますよね。
実は、7月7日、七夕の行事食は「そうめん」なのですが、皆さまご存知でしたか?

お恥ずかしながら勉強不足の筆者は知りませんでした(そうめんコラムを書く身として情けない(汗))。
そこで、七夕がどうして“そうめんの日”とされるのか、早速調べてみました。
すると思いのほか深い歴史に触れることができましたので、皆様にご紹介したいと思います!

中国の七夕は、そうめんのルーツ「索餅」で無病息災を祈願

そもそも、日本のそうめんの起源は「索餅」という唐菓子なのだとか。
これは練った小麦粉で作られる縄のような形のお菓子で、見た目も揚げパンにそっくり。

中国では以下のような言い伝えから、索餅を七夕に供える習慣があるそうです。
“ある太古の昔、皇帝の息子が7月7日に熱病で亡くなります。その子は霊鬼神となって熱病を流行らせますが、生前その子の好物であった索餅をお供えしたところ熱病は鎮まりました。”
奈良時代、日本に伝わった索餅は「索麺(さうめん)」に変化していきます。
「索」とは中国語で「太い縄状」のこと。日本では平安時代から鎌倉時代にかけての文献で「索麺(さうめん)」という言葉が見られるようになります。

ところで、お気づきでしょうか?

索麺 素麺

この二つの文字、さらっと見ると似ていますよね。
諸説ありますが、索麺は後に「さう」と「そう」の発音が混同されて「そうめん」と言われるようになり、字の似ていた「素麺」が定着したのでは?という説があるようです。

ともかく、平安時代の宮中儀式や作法をまとめた「延喜式」という書物によると、もともと七タの儀式に供えられていた索餅は、平安期以降は素麺へと変わったようです。

七夕物語の織姫が紡ぐ「糸」

七タ(たなばた)という日についても少し掘り下げてみましょう。
七夕(しちせき)とは、奈良時代に中国から伝わった風習の一つです。旧暦の1月7日は七草の節供、3月3日は桃の節供、5月5日は端午(菖蒲)の節供、7月7日は笹の節供、9月9日は菊の節供として馴染み深いですよね。宮中ではこの日、邪気払いや五穀豊穣、無病息災を祈り神事を行ってきました。

その一つ「笹の節句」である七夕もまた、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」が原型になっています。
「牽牛と織女の二星が天の川を渡り一年に一度だけ逢瀬を重ねる」という乞巧奠の伝説が日本にも伝わり、その後、笹飾りに願い事をしたため、毒を消すと信じられた小麦で健康を願い、糸に見立てた「そうめん」をお供えする……。宮中における神事は幾星霜もの年月をかけて、日本独自の七夕祭りへと姿を変えていきました。

こうして育まれてきた歴史や文化を継承しようと、全国乾麺協同組合連合会が昭和57年から七夕を「そうめんの日」に定めたのだそうです。

新型コロナウイルスの終息を願って

マル勝髙田商店の加盟している「三輪素麺振興会」は昨年の2021年、「平安無事キャンペーン」と称して七夕に無病息災を祈りました。

三輪素麺振興会公式HPから引用

前述の通り、七夕はもともと中国で流行った熱病を鎮めるために索餅が供えられたことがはじまり。
索餅はそのことから「病除け」の意味もあるため、平安無事キャンペーンでは索餅をルーツに持つそうめんで新型コロナウイルス終息への祈祷を行ったようです。

暑い季節になると、そうめんがいっそうおいしく感じられますよね。
よく冷えたそうめんは火照った体を心地よく冷やしてくれる上に、さっぱりとしていて食欲のない時にもぴったり。
七夕の夜は筆者も天の川(と、未だ現れぬ彦星)への想いを馳せつつ、織姫の絹糸のような手延べそうめんをいただきたいと思います!